悲しいこと。

昨日のわたらせさんの『「自殺」との闘い(id:yasai:20040408#1081393100)*1』を読んで、なんかいろいろ考えてしまったので書こうかと。


私も友人を自殺で失った。もう3年経つけれど、一向にもやもやは消えないまま、彼を思うとやりきれない悲しい気分になるのは変わらない。どんな形であれ、人が死んでしまうのは悲しいことだけど、自殺という形で死なれてしまったら、周りはどれだけ苦しみ悲しむか、本当のところは経験した者でしかわからないと思う。
私は、どんなことも経験しないとわからないと思う。嬉しいことも辛いことも。でも、生きていく上で、知らなくてもいいことや経験しなくてもいいことはたくさんあると思ってる。このことはそのうちの一つだと思う。もちろん、経験したことで得たものもあるけれど、出来るなら知りたくなかった。


彼が亡くなったあと、まわりの友人の精神状態は確実におかしくなっていた。たぶん私も。異様なほどに仲間意識が強くなったり、まったく逆でどう接していいのかわからなくなったり。死という言葉にすごく敏感になって、ピリピリしていた。普通に亡くした時とは違う、消化しきれない何かを自分の中に埋め込まれるのだ。


私は彼を失う前から、自殺に関しては一貫して絶対にしてはいけないことと思っていた。そして私は絶対にしないと思っていた。自ら命を絶つ気持ちがまったくわからなかったから。生きていれば何とかなると思っていたし、そんな風に追い詰められてしまうような精神状態に置かれたこともなかった。
身近にそのことが起こった今、ますます自殺を否定する思いは強くなったが、自殺をしてしまう人がこんなにも近くにいるという事実を目の当たりにして、もしかしてそういう弱い部分は誰しもが持っている要素かも知れないと思うようになった気がする。でも、それはその気持ちを理解したわけでは決してないし、仕方がないと認める気もない。
彼はいつも笑っていたし、友達もたくさんいた。家族ともうまく行っていたし、一見なんの問題も見つからない。それでも、彼は死を選んだ。それが事実。


もう少し考えたけどここに書くのは躊躇したのでやめとく。ここじゃ少し広すぎる。


こうして何か書くことで、少しでも自分の中の何かが掴めるといいんだけど、結局わからないままずっと過ごしていくんだろうな。大なり小なり、こうした得体の知れない塊を抱えて生きてるんでしょう、みんな。
この日記を書くことで、誰かの自殺を止めることが出来るなんて思ってないし、自分の不幸自慢をしたいわけでもない。ただ、衝動に駆られて書いてしまった、それだけ。わたらせさんの文が胸に響いて、それに共鳴するように書いただけ。

*1:昨日からの連続リファ、ごめんなさい。